夢と希望と他人のレッテル

夢と希望
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夢と希望は若い人だけの特権なのだろうか?

いや、そうじゃないよな?中年だって夢と希望をもってもいいはずだ。

問題は、夢と希望って何だ?って話だ。夢と希望の定義って何だ?

仮に夢の定義「現実的ではないが、手に入れたい未来像」としよう。

おう、まさに「人の夢」=「儚い」という現実がプンプン臭ってくる。(^_^;)

「漫画家になってヒット作を描くぞ!」
「とりあえず海外行ってバイトしながら旅をしてみよう」
「バンドで一旗あげるぞ!」
「ベンチャー企業を立ち上げて億万長者になる!」

これ、20代で人に言えば「若いんだから可能性あるよ、まずはチャレンジしなきゃ」と言ってくれる人もいるだろう。

でも40代になって言うと「大丈夫?現実みたら?」になるのではないだろうか。

今まで生きてきた中での下積みがあっての発言ならまだマシだが、まったくのスキルなし、貯金なし、仕事なし、目標なしのナシナシ中年が人に宣言する事じゃないな、空しくなるだけだ。

私を含め、儚い夢を見る大半の中年は、若い頃から「同じ夢を夢見て」夢見るだけで具体的な行動しなかった輩だろう。

「なんとかなるさ」「今はこっちが優先」と先送り先送りで月日だけ流れてしまったというやつだ。

こういうのが多分、いちばんタチが悪い。まさに「俺はまだ本気だしてないだけ」の現実版だ。

 

じゃあ、希望の定義は?これも曖昧だが、夢との差別化と言う意味で「現実的な将来的な見通し」としてみようか。

「愛する妻と、かわいい子供にかこまれた生活」
「お金の心配がない老後」
「定年後の妻との海外旅行」
「病気にならず、平穏に暮らす」

未婚の場合、「彼女を見つける」が希望の人もいるだろう。

見解の相違があるだろうが、上記に上げた夢よりは現実的で実現可能ではないだろうか?

しかし、中年になると出会いが無くなったと痛切に感じる。例えば外見が福山雅治なら出会いもあるだろう。しかし、現実は違う。腹が出て、毛の薄くなった枯れたおっさんだ。

例えば20代や30代の女性と知り合いになったとしても、奇跡でも起きない限り、知合い以上友達以下の関係より先はないだろう。

その上、知合いになるだけでもハードルが高いのに、中年になると目だけは肥えているので女性の外見にランク付けしたりする。お前何様?と自分に問いかける自虐行動も含めて切ない。

あれ?そうなると女性との出会いは、中年にとっては「希望」じゃなくて「夢」なのか?

とりあえず、今、私には家族がいるが、今の生活を続けるようなら保証はないだろう。まさに綱渡り人生だ。

40代になって定職についていないのは「大いなる野望と堅実な計画」をもった人か「何らかの事情で無職になった」人だと思う。

前者は数も少ないだろうし、大いなる野望だけで計画なく会社を辞めた人(俺か?)は後者に当てはまるだろう。

そういう人を、堅実に会社勤めしてる友人などは「羨ましいよ、その行動力があったら俺も会社辞めてるよ」と言いながら、心のどこかでは定職についている自分に安心しているに違いない。

もし私が同じ立場ならそうだ。

他人の不幸は蜜の味だし、他人の生活は責任がないから好きな事が言えるのだ。

夢と希望なんて言ってられるのはまだ幸せな時なのかもしれない。中年(それも40代後半以上)になると、働き先を見つけるのは大変だ。特に資格やスキルが無い場合、仕事に選択肢がない。かといって変なプライドが邪魔して、自分で自分の間口を狭めてしまう。

確かに警備員やコンビニの深夜バイトなどなら働き口はあるだろう。でもそこには安住はないと考えてしまう。

他人の目も気になる。昔の同僚や学生時代の同級生に会ったらどうしよう?などとプライドが優先する。

夢とか希望を持つ前に、現実がこなせなかったらチェックメイトだろう。

でも、だからこそ、夢や希望を中年は持つべきだと思うのだ。

ただ日々漫然と生活するのではなく、何か大切にしたいものを見つける事こそ、生きていく糧になると私は思うのだ。

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一度きりの人生、可能な限り自分の好きな事や夢を実現して楽しい毎日を過ごしたいと考えている「ミレニアム・ファルコン」をこよなく愛す中年です。