生きるということ

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人は自分から望んで産まれてきた人はいないだろう。

誰にでも父がいて、母がいる。

それなしに存在している人間はいない。

試験管ベビーだって、体外受精だって、父になる人と、母がいなければ存在しない。

望まれて産まれてきたのか、望まれず産まれてきたのかは、産まれてくる子供には関係ないことのはずだ。

しかし、どんな環境下に産まれ落ちても、生を受けたからには幸せになる権利はあると思う。

「生きてるだけで丸儲け」というのは明石家さんまさんの座右の銘だという。

これが万人に言える言葉かどうかは私には判断できない。

良い言葉だと思うし、ポジティブ思考だと思う。

だが、この言葉は自分に対して使う言葉であって、他人に使う言葉ではないだろう。

私自身、40年以上生きていると「酸いも甘いも」色々と経験してきた。

辛いことや悲しい事も沢山あったし、楽しい事も沢山あったと思う。

そんな私の座右の銘は「人間万事塞翁が馬」である。

結局、人生なんて山あり谷あり、どんな事だって考え方次第なのである。

物心ついて、自分で思考できるようになったら自力で生きるか他力で生きるか。

自らのせいにするか、人のせいにするかだけである。

 

そんな私であるが、自分の子供に関して、二つの事だけは守ってきた。それは

「名前」

「頭の形」

この二つは、確実に親の責任だ

まず「名前」

最近「キラキラネーム」といわれる「DQNネーム」を我欲でつけるバカ親がいる。

芯次威(しんでぃー)
萌羅等南(もららな)
陽(ぴん)
京桜靖(きょおせい)
ビス湖(びすこ)
羅似(きらい)
美々魅(みみみ)
愛保(らぶほ)
陽夏照(ひげき)
空々(くうそ)

・・・(;゚д゚)

名前って読むためにあるんじゃないの?読めない当て字名前にして何目的?

完全に子供は被害者だと思う。

子供のためではなく、私物化した愛玩具としかみてないんじゃないだろうか

完全否定はしないが、もし自分の子が、孫にそういう名前をつけようとしたら全力で説得すると思う。

次は「頭の形」

これも親の責任

私は軽い絶壁頭である。私は幼少の頃、色々な都合で親戚に預けられる事が多かったこともあるんだろうが、ただただよく寝る子供だったらしい。

子供は産まれたばかりの時は頭蓋骨が軟らかい。

その上、自立で寝返りなんてできないから、適度に頭の向きを変えてあげないと、自分の好む向きばかり向く事になり、頭の形がゆがむ

ガラス細工で炉から取り出したガラスはくるくると回してないと、だらりと変形してしまうようなものだ。

そんな子供の頭の形がゆがまないようにするのは親の責任だと私は思っている。

あとは、最低限の生活はさせてあげること

物心ついたら、極力自分の考えで生きていってもらえばいいのである。

 

私自身、今も生きている意味はわかってない。

 

ただ、折角生きるのなら、楽しく生きたいと思う。

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一度きりの人生、可能な限り自分の好きな事や夢を実現して楽しい毎日を過ごしたいと考えている「ミレニアム・ファルコン」をこよなく愛す中年です。