ストレスの元はSNSにあり

facemixi[1]
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私がSNSという言葉を知ったのはmixiが最初だった。

当時のmixiは紹介制で参加したくても知り合いにmixiを使っている人がいなければ使うことができなかった。

私はmixiが認知されはじめた最初の頃に紹介してもらうことができ参加していたが、そこには選ばれた人のみが参加できる閉鎖された空間という「特別感」があった。

さながら京都の祇園の一見さんが紹介者の同伴がないと遊べないぐらいのステータスがあったように思う、参加できることに優越感を感じたものだ。

mixiはニックネームで参加できたが、紹介制なので「匿名でありながら身元がわかっている」という特別な環境でモラルがあった。

そんな中でmixiの秀逸な機能が「足跡機能」、自分のブログを見に来た人の履歴が残るため、自分も相手のブログを見に行き交流が生まれ新たなつながりができるというネットならではの出会いがり楽しかった。

しかしmixiの爆発的な普及により、「紹介屋」という輩が現れ本来の知り合いを紹介するという前提が崩れてしまった。それによりmixiの匿名性がマイナスに働くようになってしまった。

同時にmixiの持ち味である足跡機能が様々な理由で廃止するなどの運営側の迷走もありmixiの利用者は激減してしまった。

そして出てきたのが「FaceBook」、実名での参加という事で、私も連絡先がわからなくなっていた昔の友人と再会できるなど最初の頃はとてもメリットを感じていた。

しかし、実名という事でプライベートを知ってほしくない人(会社関係や仕事関係)にも必然的にばれてしまう。

本人と繋がっていなくても友人の友人として繋がってしまうなどあまりよろしくない環境になってしまう。

そうなると書くことも無難な事が多くなる。

そして増えたのが「リア充自慢」

私はプライベートも仕事もこんなに充実してますよというアピール合戦になってしまったFaceBook

時折有益な情報がシェアされたりしているが、約7割が「リア充自慢」、これ意識してやってる人もいるけど、無意識にやってる人も結構多いのが痛いところ。

「美味しいもの食べた」「仲間と盛り上がった」「こんな場所に来ました」

そう、日常生活の中でネタとして公開していいと思うものは「自分にとって良かった事」が多く、結果他人から見たら「リア充自慢」になってしまうのだ。

それも「友達の友達の友達(赤の他人)」という自分と直接リアル関係がない人のリア充自慢を見せられるほど空しいものはないんじゃなかろか?

私自身、最近ではほとんど発信せず、気が向いた時に覗く程度の使い方になってしまった。

FaceBookの若者離れが酷いらしいが、なんとなくわかるような気がする。

会社の上司、学校の先生や親にプライベート見られるとか確かに気持ち悪いよなとしみじみ思う今日この頃。

価値観の違いかもしれないけど、家族とかとネットでまで繋がりたくないと思うのは私だけではあるまい。

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