知らない事を知らないと言う勇気

教えを乞う
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知らないことを知らないと素直に言える時と、そうでない時がある。

自分の知識がない事を伝えることで教えを乞うのは大切なことだろう。

人間は他人より優位に立つことで寛容になる習性をうまく使いこなしていると言えば聞こえはいいだろう。

実はそんな人が羨ましいと思っている。

しかし、年齢を重ねるごとに人間(特に男)は無駄な「プライド」を持ち、それを守るために意固地になる生き物じゃないだろうか。

特に管理職になり、部下が自分よりスキルが高い場合などによく見られるのが「知ったかぶり」と「わかった発言」だ。これらは他人のみならず、自分にとってもマイナスに働くことなど意識できるわけもなく、ただ「ウザイ」中年に成り下がってしまう。

つい先日、昔一緒で働いていた女性が、今の職場環境での悩みをもらしたのが、40代前半の管理職男性(PCに疎い)のお客様に送るメールがあまりにも常識がないため、例文含め伝えたところ、いつもは「俺は20年以上この仕事してる」「なんでもわかってる」と言っているのに、急に「わからん」を連発し、改善しようともしないし聞く耳さえ持たないことに困っているとのことだった。

プライドを傷つけられたことで、新しいことを吸収する道を自ら閉ざし、意固地になってしまった例だろう。

こうはならないように気を付けなければいけない。他人のふり見て我がふり治せとはよく言ったものだ。

ただ、気を付けなければいけないのは他人だけではなく、自分の子供に対して無意識に「知ったかぶり」「わかった発言」をしている可能性があることだ。

なんにせよ、謙虚に知らないことは知らない、教えを乞うべきところは自分より知識があるのであれば、それが誰だとしても頭を下げる器量を持ちたいものだ。

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一度きりの人生、可能な限り自分の好きな事や夢を実現して楽しい毎日を過ごしたいと考えている「ミレニアム・ファルコン」をこよなく愛す中年です。