思考するということ

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人間、生きている限り何かしら、考えている。

すごく大切なことから、くだらない事まで、一日どれぐらい考えているだろう?

考えるというのにも種類があって、

・創作する思考

・理解する思考

・選択する思考

・区別する思考・・・etc

など細かくカテゴライズすれば数限りないだろうが、大きく分ければ

「今あるもので考える」か、「今までないものを考えている」か

ではないだろうか。

前者は、簡単に言えば「選択」である。

今までの経験則から、何をするかを考えるというものだ。

多分、成人を迎えている大人は、思考の9割がこちらだろう

逆に言えば、今までにないものですら、今まで経験したものに当てはめる事も多いだろう。

これは創造物にも言える事で、過去蓄積された膨大な情報量は、それを生業とするアーティストの源泉であり、情報蓄積の元でもある。

それら、膨大な情報を組合せ、そこに個別のセンスとも言われるエッセンスを加えることで、新しい創造物として表現されているのではないだろうか。

「まったく過去のもの見た事がない、すべて私のオリジナルだ」

と言い切る人がいるなら、それは嘘だ!と言い切ってもいいだろうと思う。

ここで、悲劇だと思うのは先日白紙撤回されたオリンピックエンブレムの件だ。

デザイナーの佐野研二郎氏は、ひとつのきっかけで、今までの実績をことごとく否定されてしまった。

どこまでが白で、どこからか黒かはすでに関係がなく、「何が何でも悪者に仕立てる」という悪意ある空気が、ネット社会で増幅され「潰すまで続ける」という悪しき慣習に繋がってしまったと思う。

佐野氏自身にも脇が甘い部分があったことは否めない、サントリーという大手企業の景品デザインにデザイン流用が見つかってしまったのはアウトだろう。

名前も売れていて、多忙だろうから、細かい案件はスタッフにふって監修するのは理解できるし、それが正しいと思う。

しかし、スタッフのデザイン盗用に対する危機管理などが徹底されていなかった事が、今回の悲劇に繋がってしまった。

盗用したスタッフがどうではなく、矢面にたたされるのは佐野氏であり、今後も佐野氏が盗用したと短絡的な記憶として残ってしまう。

プレゼン用にネット上の画像を加工して使うなんてのは多かれ少なかれ、プレゼンする人はやっている行為だと思うので、ここまであげつらえて否定するのは可哀想だと思う。

昔からマスコミは「他人の不幸は甘い蜜」という事を知っているので、落としめる事が仕事だったりするのでたちが悪い。

本当かウソかは関係なくて、ネタとして面白くするため傷口に塩を塗りこむのだ。

佐野氏の立場が、もし自分だったらと考えるとやりきれない。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

一度きりの人生、可能な限り自分の好きな事や夢を実現して楽しい毎日を過ごしたいと考えている「ミレニアム・ファルコン」をこよなく愛す中年です。