隣の芝生は青い件

隣の芝生
スポンサードリンク

人間は比較する生き物だと思う。

「私は人を比較なんてしない」という人もいるかもしれないが、食べ物でも買い物でもなんでも、何かしら比較しているはずだ。

「それは比較ではなくて、選択でしょ」という人もいるかもしれないが、選択は比較した上で優先順位の高いものを選ぶという行為に他ならない。

まぁそんなのは当然の事なのだが、一番厄介なのが、自分と他人を比較してしまう事。

最たるは「隣の芝生は青くみえる」という話。

人の視点は基本、短絡的だ。その時の状況のみを基準に全体像を判断してしまいやすい。

その一部分だけを見て、人を羨んだり、さげすんだり、自分の立ち位置を悲観したりしてしまう。

隣の芝生は離れて見るので綺麗に見えるが、自分の庭は近くで見るので、芝生が生えてない部分や手入れが行き届いてない部分などが目について気に入らない。

富士山は遠くから観ると雄大で美しいが、近くに行けば石が多い無骨な山肌で、決して美しくないのと同じだ。

近すぎると、良い所より悪いところの方が目についてしまう。ここで広い視野をもっていないとマイナス面だけに気を取られてしまうのだ。

でも、隣の芝生だって手入れをしていなければ美しくはないだろう。芝を同じ長さに刈り込み、水を与えるなどの作業があるからこそ美しいはずだ。

そういう努力している部分は表面から見えないので「いいところ」だけみて羨んでしまう。

私はと言えば、エグザイルをみて

「体脂肪10%以下とかすごいな」
「ダンスやってるからだな」
「あんな身体だったらなんでも着れるな」

「でもやっぱ、エグザイルだからだな(特別だよな)」

と、手に届かない理由を考えて諦めてしまう。

でも、実はエグザイルという事以外、やる気になればすべて手に入れることができる事ばかりなのだ。

成功している人をみて、「あんな風になりたい」と羨むだけで、そうなるまでの過程は「あの人だからできたんだろう」と考えてしまう。

そこにたどり着くにはそれ相応の行動をしているはずなのにだ。

確かに、努力だけではなく、タイミングや人のネットワークによって成功している人は多いと思う。

人柄もあるだろうし、ビジネスセンスも問われるはずだ。

でもそれを活用して形にするのは本人の行動に他ならない。

私は人見知りで、ずっと裏方仕事だったので協力してもらえるネットワークも持っていない。

なので今ある資産は自分の「やる気」しかない。

だからこそ、「やる気」を行動に転嫁して前に進むしかないのである。

今日は日曜日、以前の私ならただゴロゴロと無駄な時間を過ごしていたと思うが、今はこうしてブログを書いている。

ほんの少しだけど、方向もまだモヤモヤしてるけど、行動していることは評価したいと思う。

さて、千里の道も一歩から、今日も一歩進みますか。

スポンサードリンク
隣の芝生

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

ABOUTこの記事をかいた人

一度きりの人生、可能な限り自分の好きな事や夢を実現して楽しい毎日を過ごしたいと考えている「ミレニアム・ファルコン」をこよなく愛す中年です。