小学生の時、マジンガーZの超合金が欲しかった。
しかし、当時父は厳しく、おもちゃは無駄遣いとされ、どれほど切望しても買ってもらえなかった。
そんな環境で育った私が、マジンガーZを手に入れる唯一の方法があった。それは「自分で作る」事だ。
裏に印刷がないチラシに、手書きでマジンガーZを描いて、ハサミで切り抜く。パイルダーもロケットパンチも取り外す事ができるように工夫していた。
当然、立体にするなどという技術は無いため、平面の2次元マジンガーなのだが、ストーリーを空想し遊ぶ私には十分満足できるものだった。その時の遊び方は今でも思い出せる。
チラシは無尽蔵にある。遊びで酷使してマジンガーが破れてしまっても、次々新しいマジンガーZは生産できるのだ。
今、絵心があるのはその頃の経験が大きいだろう。
欲しいものは作るしかなかったのだ。
そんな事ばかりしてた。
趣味にお金をかけるようになったのは成人してからだ。
欲しいフィギュアは作るものではなく、買うものになった。手に入れて飾る。手にとって眺める。でもそれらを使って空想して遊ぶ事はしない。
欲しい物の意味と目的が変わってしまったのだろう。
欲しいフィギュアを買うのは、子供の頃におもちゃを買ってもらえなかった苦い経験の反動なのかもしれない。
ある程度の夢(欲しいおもちゃ)はお金で買えるようになった。
でも、自分で作ったおもちゃで遊んだワクワクと、金で手に入れたおもちゃのワクワクは決して同じではない。
なんか、何かを作りたくなってきたぞ。ペーパークラフトとかいいかもしんない(*^▽^*)
人が作ったものじゃなくて、自分で作る事が大事のような気がした。
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