中年になってイベントが楽しくなくなった人

イベントが辛い
スポンサードリンク

11月11日はポッキーの日だそうだ。

今年の11月11日11時11分11秒には何かするんだろうか?毎年企画するのは楽しそうだけど大変だろうなぁ。

同じように人にはそれぞれ毎年同じ日に行うイベントがあるのではないだろうか。

正月、バレンタインデー、ホワイトデー、ハロウィン、クリスマス

まぁ、ホワイトデーは日本ではバレンタインデーとペアのようなもので、恋人や好きな人がいない場合は無縁のものだし、クリスマスも恋人や家族、子供がいない場合、酷な日とも言える。ハロウィンに至っては一部の盛り上がりに過ぎず薄っぺらい感があるのは私だけではあるまい。

じゃあ正月はどうだ?子供のころは良かった。年が明けるというだけで、親や親戚から無償で「お年玉」というお小遣いが貰えるのだ。この日ばかりは普段会うことがない親戚の家に親にくっついてついていく。あからさまにお年玉狙いだ。でも正月が来るのが楽しみで楽しみでたまらなかった。

でも、大人になってから正月は待ち遠しくなくなった。子供たちに年が明けたというだけでお小遣いをあげなければいけない。意味がわからないw

しかし今は少子化という事もあり、子供が少なくなった。当然親戚にも子供が少なく姪っ子や甥っ子など数えるぐらいしかいない。

これが私の親世代になると6人兄弟、7人兄弟なんてざらにいた。比例的に子供の数も多い。昔は今と違って、正月に親せき回りというのは当り前だったので、大人はさぞ大変だったろうと思う。

年の初めに恐ろしい人数の子供たちが財布の中を狙って来襲するわけだ。私もその一人だったわけだが・・・その事を考えれば5~6人の子供へのお年玉でグダグダいうのは大人げないな。反省

子供のころは年賀状も待ち遠しかったが、今は個人情報保護という名目で子供たちはクラスメイトの住所を勝手に知ることができなくなった。冬休み前に 住所を聞く=年賀状を送るというかしこまったやりとりが必要になったのだ。申告しなければ年賀状も送れない子供たちが不憫でならない。

私が子供のころなどは全校生徒の住所電話番号は普通に一覧表が配られていたので簡単に知ることができた。なので、気になるけど声をかけれない女の子に、年賀状を送ってアピールするなんてこともしたものだ。

年賀状のやり取りも、親戚と昔からの友人のみで、仕事関係の人に個人住所など教えることもなくなった。なんとなく出さなければいけないという強迫観念がうざい(^_^;)

あれ?もしかしたら寂しい人なのか?私は。

誕生日だって、妻や子供の誕生日は大切だが、自分の誕生日は単に老年に近づいたと認識させられるイベントとして特にうれしくなくなった。

こうやって楽しみが少なくなることが年老いたという事なんだろうか。

寂しい限りである。

スポンサードリンク
イベントが辛い

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

ABOUTこの記事をかいた人

一度きりの人生、可能な限り自分の好きな事や夢を実現して楽しい毎日を過ごしたいと考えている「ミレニアム・ファルコン」をこよなく愛す中年です。